20世紀最後の自転車競技“マウンテンバイク”-2

短期集中連載

マウンテンバイク競技の発展

同好の士がかってに集まり、ヨーイドンで大雑把にやっていた草レースが組織だって行われるようになるのは80年代初頭、NORBA(National Off-road Bicycle Association)が設立されて黄金時代を迎える。

クロスカントリー、ヒルクライムというなじみにある種目に加え、最もマウンテンバイクらしい種目ダウンヒルやスキー競技から導入したデュアルスラロームといった時代を先取りした華やかな映像をもたらす種目を輩出し、瞬く間に人気を博し、当時のスポーツTVチャンネルでも盛んに取り上げられるようになる。
中でもカリフォルニアとネバダの州境にあるマンモス・マウンテンというスキーリゾートでの大会は特に人気と注目を集めた。標高が富士山より高い3800mの頂上から一気に駆け下りるダウンヒルは最高時速100kmにもなり“カミカゼ”と呼ばれマウンテンバイク愛好者のメッカとなっていた。冬のスキー、夏のマウンテンバイクという現在のスキーリゾートの元祖というべき利用形態はここから始まった。
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20世紀最後の自転車競技“マウンテンバイク”-1

短期集中連載


それはロードレーサーのほんの遊び心から生まれた

長い自転車競技の歴史の中で最も新しい種目とされる一つがマウンテンバイクだ。
シクロ、サイクルといった馴染みのある自転車のカタカナに比べ、バイクとなると日本ではオートバイを連想してしまうが、レッキとした英語でアメリカでネーミングされた“山を駆ける自転車”である。

1970年代の終わり、若く冒険心に富んだロードマンの一団が、いつもの練習コースである舗装路から外れ、山につながる未舗装道路に踏み入れたところから歴史は始まった。彼らはアメリカはカリフォルニア・サンフランシスコ郊外を本拠地とするロードレーサー。地元ではかなり好成績を残すこともあるが、人一倍好奇心と冒険心のあふれた点が他のメンバーとは違っていた。金門橋と日本では翻訳されたゴールデンゲート・ブリッジを渡ったサンフランシスコの高級ベッドタウンとして知られる一帯の奥には小高い山があり、そこには山火事対策用にファイアーロードと呼ばれる未舗装の道路があちこちに走っていた。
「あんなガタガタ道を登り降りしたら面白いな」
そんな発想はやがて登った後の一気の下りで開花する。後のダウンヒルレースである。当時はリパックレースと呼ばれ、頂上まで挙げてはヨーイドンで早いモンが勝つというシンプルでいささか無謀な遊びレースであった。
しかしながら問題は自転車。なにせ強度の乏しいロードレーサーではすぐにパンク、フレームトラブルが続出である。何度となく工夫と改良が施され、オートバイのタイヤ、BMXのハンドル、自転車もウン十年も前のクラシック自転車のフレームまで持ち出して創りあげたのがマウンテンバイクの原型である。
ジョー・ブリーズ、ゲイリー・フィッシャー、トム・リッチー、チャールズ・ケリー...マウンテンバイクの歴史に名を連ねる彼らがほんの遊び心で世に送り出してから、またたく間に世界を席捲するまでほんの10数年前のことである。

1980年イベントパンフレット。同年「FAT TIRE FLYER」も創刊された。

1980年イベントパンフレット。同年「FAT TIRE FLYER」も創刊された。

ゲーリー・フィッシャー氏とアイデアと夢がぎっしり詰まった改良自転車。

ゲーリー・フィッシャー氏と、アイデアと夢がぎっしり詰まった当時の改良自転車。

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Hall of Museum -Japan Mountain Bike Museum-

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