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	<title>日本マウンテンバイク協会 &#187; MTBミュージアム</title>
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	<description>Japan Mountain Bike Association</description>
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		<title>２０世紀最後の自転車競技“マウンテンバイク”－１</title>
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		<pubDate>Wed, 16 Dec 2009 15:03:01 +0000</pubDate>
		<dc:creator>JMA I</dc:creator>
				<category><![CDATA[MTBミュージアム]]></category>
		<category><![CDATA[ゲーリー・フィッシャー]]></category>
		<category><![CDATA[ミュージアム]]></category>

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		<description><![CDATA[短期集中連載 それはロードレーサーのほんの遊び心から生まれた 長い自転車競技の歴史の中で最も新しい種目とされる一つがマウンテンバイクだ。 シクロ、サイクルといった馴染みのある自転車のカタカナに比べ、バイクとなると日本では [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.japan-mtb.org/mtb-museum/"><img alt="" src="http://www.japan-mtb.org/wp-content/uploads/2009/12/Ctop250-64-HollofMuseum1.jpg" width="520" height="64" border="0" /></a></p>
<h3 style="text-align: center;"><span style="color: #339966;"><strong>短期集中連載 </strong></span></h3>
<p><strong><br />
それはロードレーサーのほんの遊び心から生まれた</strong></p>
<p>長い自転車競技の歴史の中で最も新しい種目とされる一つがマウンテンバイクだ。<br />
シクロ、サイクルといった馴染みのある自転車のカタカナに比べ、バイクとなると日本ではオートバイを連想してしまうが、レッキとした英語でアメリカでネーミングされた“山を駆ける自転車”である。</p>
<p>１９７０年代の終わり、若く冒険心に富んだロードマンの一団が、いつもの練習コースである舗装路から外れ、山につながる未舗装道路に踏み入れたところから歴史は始まった。彼らはアメリカはカリフォルニア・サンフランシスコ郊外を本拠地とするロードレーサー。地元ではかなり好成績を残すこともあるが、人一倍好奇心と冒険心のあふれた点が他のメンバーとは違っていた。金門橋と日本では翻訳されたゴールデンゲート・ブリッジを渡ったサンフランシスコの高級ベッドタウンとして知られる一帯の奥には小高い山があり、そこには山火事対策用にファイアーロードと呼ばれる未舗装の道路があちこちに走っていた。<br />
「あんなガタガタ道を登り降りしたら面白いな」</p>
<ul>
<li><span id="more-3980"></span></li>
</ul>
<p>そんな発想はやがて登った後の一気の下りで開花する。後のダウンヒルレースである。当時はリパックレースと呼ばれ、頂上まで挙げてはヨーイドンで早いモンが勝つというシンプルでいささか無謀な遊びレースであった。<br />
しかしながら問題は自転車。なにせ強度の乏しいロードレーサーではすぐにパンク、フレームトラブルが続出である。何度となく工夫と改良が施され、オートバイのタイヤ、ＢＭＸのハンドル、自転車もウン十年も前のクラシック自転車のフレームまで持ち出して創りあげたのがマウンテンバイクの原型である。<br />
ジョー・ブリーズ、ゲイリー・フィッシャー、トム・リッチー、チャールズ・ケリー．．．マウンテンバイクの歴史に名を連ねる彼らがほんの遊び心で世に送り出してから、またたく間に世界を席捲するまでほんの１０数年前のことである。</p>
<div id="attachment_4105" class="wp-caption alignnone" style="width: 258px"><a href="http://www.japan-mtb.org/wp-content/uploads/2009/12/1980ballooner.jpg" target="_top" rel="lightbox[3980]"><img class="size-medium wp-image-4105" title="1980ballooner" alt="1980年イベントパンフレット。同年「FAT TIRE FLYER」も創刊された。" src="http://www.japan-mtb.org/wp-content/uploads/2009/12/1980ballooner-248x300.jpg" width="248" height="300" /></a><p class="wp-caption-text">1980年イベントパンフレット。同年「FAT TIRE FLYER」も創刊された。</p></div>
<div id="attachment_4109" class="wp-caption alignnone" style="width: 310px"><a href="http://www.japan-mtb.org/wp-content/uploads/2009/12/gary1.jpg" target="_top" rel="lightbox[3980]"><img class="size-medium wp-image-4109" title="gary1" alt="ゲーリー・フィッシャー氏とアイデアと夢がぎっしり詰まった改良自転車。" src="http://www.japan-mtb.org/wp-content/uploads/2009/12/gary1-300x226.jpg" width="300" height="226" /></a><p class="wp-caption-text">ゲーリー・フィッシャー氏と、アイデアと夢がぎっしり詰まった当時の改良自転車。</p></div>
<p><strong>野火のような広がり</strong></p>
<p>原型が出来てからのマウンテンバイクの発展はハード、ソフト両面から電撃的な広がりを見せた。その理由はなにより“遊び心に富み、冒険心に熱いアメリカ人が創り、遊ぶ”ところが大きいのだが、未舗装、オフロードを走るという自由奔放な条件も無視できない。しかも道具が自転車という誰でもが思ったら即乗れるという気楽さ。これにアメリカの恵まれた豊富な自然環境が目の前にふんだんにあるのだから普及は一気に進んだ。カリフォルニアからコロラドに飛び火し、あとは野火のようにアメリカ中をブームに巻き込んでいく。</p>
<p style="text-align: left;">普及の追い風はハード面の進化だった。ダウンヒルに耐える強いフレームやタイヤ作り、変化の激しい状況に耐えながら素早く対応する変速機やブレーキ等の部品．．．アメリカならではの個人の工夫や開発がビジネスチャンスになる風土は新しい製品を次々と生み出していく。その中にはアメリカで活躍する日本の自転車部品メーカーの姿もあった。サンツアーは最も早くから係わったメーカーだが、当時の河合社長と子息・一郎氏は情報を日本に送り、普及を進めた功績は大きい。<br />
部品の開発・販売、促進とともにメディアを通じて、まだ日本では全くといっていいほど知られていなかったニューウエーブ自転車を他の国に先駆けて知らしめた結果、アメリカ以外で日本は世界で最も早くマウンテンバイクをスポーツとして導入することになる。</p>
<p style="text-align: right;">日本マウンテンバイク協会　会長　鷲田　紀夫</p>
<div id="attachment_4107" class="wp-caption alignnone" style="width: 238px"><a href="http://www.japan-mtb.org/wp-content/uploads/2009/12/1982suntour1.jpg" target="_top" rel="lightbox[3980]"><img class="size-medium wp-image-4107" title="1982suntour" alt="1982年。日本のサンツアー（マエダ工業）がマウンテンバイク用コンポーネントとしてマウンテックを発表。" src="http://www.japan-mtb.org/wp-content/uploads/2009/12/1982suntour1-228x300.jpg" width="228" height="300" /></a><p class="wp-caption-text">1982年。日本のサンツアー（マエダ工業）がマウンテンバイク用コンポーネントとしてマウンテックを発表。</p></div>
<p><a href="http://www.japan-mtb.org/mtb-museum/mtbjapan2">次に続く<br />
</a><br />
<a href="http://www.japan-mtb.org/mtb-museum/"><img alt="" src="http://www.japan-mtb.org/wp-content/uploads/2009/12/Ctop250-64-HollofMuseum2.jpg" width="520" height="64" border="0" /></a></p>
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		<title>２０世紀最後の自転車競技“マウンテンバイク”－２</title>
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		<comments>http://www.japan-mtb.org/archive/mtbalacarte/hall-of-museum/mtbjapan2/#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 20 Jan 2010 11:49:12 +0000</pubDate>
		<dc:creator>JMA G</dc:creator>
				<category><![CDATA[MTBミュージアム]]></category>
		<category><![CDATA[ゲーリー・フィッシャー]]></category>
		<category><![CDATA[ミュージアム]]></category>

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		<description><![CDATA[短期集中連載 マウンテンバイク競技の発展 同好の士がかってに集まり、ヨーイドンで大雑把にやっていた草レースが組織だって行われるようになるのは８０年代初頭、ＮＯＲＢＡ（National　Off-road　Bicycle　A [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.japan-mtb.org/mtb-museum/"><img src="http://www.japan-mtb.org/wp-content/uploads/2009/12/Ctop250-64-HollofMuseum1.jpg" alt="" width="520" height="64" border="0" /></a></p>
<p><span style="color: #339966;"><strong>短期集中連載 </strong></span></p>
<p><strong>マウンテンバイク競技の発展</strong></p>
<p>同好の士がかってに集まり、ヨーイドンで大雑把にやっていた草レースが組織だって行われるようになるのは８０年代初頭、ＮＯＲＢＡ（National　Off-road　Bicycle　Association）が設立されて黄金時代を迎える。</p>
<ul>
<li><span id="more-4104"></span></li>
</ul>
<p>クロスカントリー、ヒルクライムというなじみにある種目に加え、最もマウンテンバイクらしい種目ダウンヒルやスキー競技から導入したデュアルスラロームといった時代を先取りした華やかな映像をもたらす種目を輩出し、瞬く間に人気を博し、当時のスポーツＴＶチャンネルでも盛んに取り上げられるようになる。<br />
中でもカリフォルニアとネバダの州境にあるマンモス・マウンテンというスキーリゾートでの大会は特に人気と注目を集めた。標高が富士山より高い３８００mの頂上から一気に駆け下りるダウンヒルは最高時速100kmにもなり“カミカゼ”と呼ばれマウンテンバイク愛好者のメッカとなっていた。冬のスキー、夏のマウンテンバイクという現在のスキーリゾートの元祖というべき利用形態はここから始まった。</p>
<ul>
<li><!--more続きを読む»»»--></li>
</ul>
<p>ＮＯＲＢＡは全米の有名スキーリゾートでの大会開催を盛んに進め、スポーツ・ビジネスを成功させているが、このマンモス・マウンテンでの大会は全米選手権からさらに世界選手権へと発展し、参加数も数千人を超える文字通りマンモスな大会に成長しマウンテンバイクの記念碑的な大会として今なお歴史に名を連ねている。<br />
８７年からは日本選手を引率し本場の香りを体感させた結果、正式種目ではないが、トライアル部門では８８年銅メダル、８９年は金メダルを獲得する好成績を収めている。この８９年はマンモスでＵＣＩのメンバーから翌９０年からマウンテンバイクはＵＣＩの下で正式種目となりコントロールされると聞かされ感動と共にいよいよ世界はマウンテンバイクを認めるところまで来たという実感を得たものだ。<br />
９０年９月ＵＣＩの第１回マウンテンバイク選手権はアメリカ・コロラド州デュランゴのパーガトリー・スキーリゾートで開催、世界１７ヶ国が参加した。日本から引き連れたのはクルスカントリーの大竹雅一、原宣功、ダウンヒルに柳原康弘、檀拓磨の４名。初代チャンピオンはダウンヒル、クロスカントリー共アメリカ選手が独占した。以後しばらくの間、世界選手権は一年ごとにアメリカ大陸とヨーロッパで交代開催された。ＵＣＩの下での創成期はアメリカの独壇場であったが、その後イタリア、カナダ、フランスと世界選手権が開催されるにつれ、４、５年を経て自転車競技先進国のヨーロッパ諸国の強化・台頭がめざましく、現在のヨーロッパ主導の図式に変わっている。<br />
マウンテンバイクがこれほど短期間に発展したのにはスキー場を使い、たくさんの観客動員を可能にし、ＴＶ等メディアの露出が大きかったことが大きく影響している。世界選に続き世界各地を転戦するワールドカップもドイツの電気メーカー・グルンディックを冠スポンサーにスタートし、ロード中心のヨーロッパ各国を刺激し強化させた功績が大きい。</p>
<div id="attachment_4112" class="wp-caption alignnone" style="width: 231px"><a href="http://www.japan-mtb.org/wp-content/uploads/2009/12/1989wcs.jpg" target="_top" rel="lightbox[4104]"><img class="size-medium wp-image-4112" title="1989wcs" src="http://www.japan-mtb.org/wp-content/uploads/2009/12/1989wcs-221x300.jpg" alt="NORBAが主催する世界選手権。多くの海外ナショナルチームも参加した。" width="221" height="300" /></a><p class="wp-caption-text">NORBAが主催する世界選手権。多くの海外ナショナルチームも参加した。</p></div>
<div id="attachment_4121" class="wp-caption alignnone" style="width: 310px"><a href="http://www.japan-mtb.org/wp-content/uploads/2009/12/1990wcs1.jpg" target="_top" rel="lightbox[4104]"><img class="size-medium wp-image-4121" title="1990wcs1" src="http://www.japan-mtb.org/wp-content/uploads/2009/12/1990wcs1-300x180.jpg" alt="UCI（国際自転車競技連合）による第１回の世界選手権大会がアメリカのコロラドで開催された。" width="300" height="180" /></a><p class="wp-caption-text">UCI（国際自転車競技連合）による第１回の世界選手権大会がアメリカのコロラドで開催された。</p></div>
<p><strong>日本国内の普及</strong></p>
<p>日本国内でのマウンテンバイクは８０年代に入ってまもなく、サンツアーが商品開発のためのテストランや技術チームによる自主的なミーティングを行うなど地道な活動に限られていたが、折から創刊されたＢＥ－ＰＡＬ（小学館発行）というアウトドアライフ雑誌がレクリエーションの柱の一つとして取り上げたのが多くのファンを獲得するきっかけとなった。創刊編集長だった中村滋氏が日本で最初のマウンテンバイクショップを開いた故・平木康三氏の協力を得て、アウトドアでの遊び道具としてのマウンテンバイクを啓蒙したのだ。<br />
１９８４年夏、群馬ホワイトバレー・スキー場で創刊記念イベントとして日本最初の本格的なダウンヒルレースとクリテリウム（当時はまだクロスカントリーと呼ばれるにはまだ距離も短くレベルも達していなかったのでこう称されていた）が開催された。アメリカからマウンテンバイク生みの親の一人、トム・リッチーとそのチームを招き、本場のマウンテンバイク・レースをじかに見ることになる。ダウンヒルといってもスキー場のファミリー・ゲレンデ１kmちょっとのコースだったが、トム・リッチーが自らデザイン、製作したモデルを駆使したアメリカチームは本場の走りを見せ、周囲をうならせた。<br />
日本からの参加はサンツアー、シマノ、アラヤ、クワハラの技術研究チーム、マングースのファクトリーチーム、３RENSHO、ワイルドキャットといった当時の先進的なショップチームに、個人参加の愛好者など１００人あまりであった。この１００人という数字は当時の日本のマウンテンバイク人口そのものであり、その後の飛躍的な増加を見ると隔世の感がある。</p>
<div id="attachment_4108" class="wp-caption alignnone" style="width: 310px"><a href="http://www.japan-mtb.org/wp-content/uploads/2009/12/1984bepal.jpg" target="_top" rel="lightbox[4104]"><img class="size-medium wp-image-4108" title="1984bepal" src="http://www.japan-mtb.org/wp-content/uploads/2009/12/1984bepal-300x208.jpg" alt="国内でも大会が開催されるようになった。第１回BE-PALマウンテンバイクサマーミーティング" width="300" height="208" /></a><p class="wp-caption-text">国内でも大会が開催されるようになった。第１回BE-PALマウンテンバイクサマーミーティング</p></div>
<p>目立ったのはオフロードテクニック抜群でもマウンテンバイクに乗るのは初めてという怖いもの知らずのＢＭＸ選手で、その後ダウンヒルやデュアルスラローム、最近ではフォークロスなどで活躍する世界トップ選手が同様の出立を見るとスピード系の競技はセンスが要求される一面が伺えた。さらにスキーの全日本クラス選手も参加し、マウンテンバイクの多彩さがすでにこの頃から見られていたのである。<br />
翌年からは毎夏に同様の大会が長野南佐久で開催を続け、１９８７年にはＪＭＡ（日本マウンテンバイク協会）が設立され、８８年から全日本選手権の開催で競技は本格的になる。<br />
８９年には日本にもマンモスのようなレースを！と岩手県安比高原スキー場で本格的なダウンヒル選手権が行われ、毎年のように海外有名選手が来日するようになった。全日本もシリーズ化され北海道から九州まで全国展開、メディアもニュースポーツとして取り上げた。その間、読売新聞社主催の琵琶湖バレー・ダウンヒル大会のように単発で終わった大会の後、ウエスタンライディング、パナソニックカップ、ファットタイヤシリーズ、リッジランナーカップ、イーグルカップ等々キラ星の如く各種の大会が全国各地で開催されるようになった。</p>
<p>９０年ＵＣＩによる世界選開催が始まると、日本選手の海外参戦は活発化していく。ワールドカップがスタートするとさらに海外転戦が増え、ポイントを挙げる選手も複数となった。９５年からはプロアマ合同で現在の競技連盟が発足するとＪＣＦ派遣による世界選参加も以前に比べ飛躍的に充実し、体制が固まっていった。<br />
そして９６年、ついにアトランタ・オリンピックでマウンテンバイクは正式種目に採用された。<br />
記念すべき最初のオリンピック・マウンテンバイク選手は男子・三浦恭資、女子・谷川（現・小林）可奈子。その前年、愛知県豊田市郊外で開催された第１回アジア・マウンテンバイク選手権で出場権を得ての出場である。男子５０人中２５位、女子３８人中２８位であった。2000年シドニーは男女各１名、2004年アテネ男女各１名出場している。</p>
<div id="attachment_4110" class="wp-caption alignnone" style="width: 310px"><a href="http://www.japan-mtb.org/wp-content/uploads/2009/12/1995acs.jpg" target="_top" rel="lightbox[4104]"><img class="size-medium wp-image-4110" title="1995acs" src="http://www.japan-mtb.org/wp-content/uploads/2009/12/1995acs-300x288.jpg" alt="アトランタ五輪の出場枠をかけたアジア選手権で男女資格獲得の報道（産経新聞1995/10/30）" width="300" height="288" /></a><p class="wp-caption-text">アトランタ五輪の出場枠をかけたアジア選手権で男女資格獲得の報道（産経新聞1995/10/30）</p></div>
<p>若い種目と書いたが、こうして経緯を見てみるとすでに誕生から２０数年を経て、オリンピックも３大会を数える。次は北京を目指して更なる強化が期待されている。歴史的に見ると初期の日本は先駆者アメリカからの吸収も早く、国際大会への参加も盛んで、トップ選手との交流や技術獲得も進んでおり、かなり期待されていたものだ。しかし、グローバルな視点での取り組みが出来ないでいる間にオーストラリア、フランス、イタリアなどが国を挙げての強化に取り組み大きく水を開けられてしまった。ここ３大会のオリンピックも最初のアトランタよりむしろ後退している感があるように思える。また唯一アジアで無敵を誇った力もここ数年は拮抗してきており、いわんや女子については中国の後塵を拝するに至っている。この辺でもう一度原点に立ち戻るつもりで、世界の勢力図をきちんと見直し、北京までの４年間のプランをきちんと作成すべき時ではなかろうか。<br />
競技連盟１０年の節目、アテネの輝かしい銀メダルの喜びを将来にわたりつなげていくためにも、日本人に向いていると評価されているマウンテンバイク競技でのメダル獲得を目指したいと切実に思う。 </p>
<p style="text-align: right;">鷲田紀夫</p>
<p><a href="http://www.japan-mtb.org/mtb-museum/"><img src="http://www.japan-mtb.org/wp-content/uploads/2009/12/Ctop250-64-HollofMuseum2.jpg" alt="" width="520" height="64" border="0" /></a><br />
（この記事は2005年に書かれたものです）</p>
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